ロンドン五輪組、ブラジル経由ロシア行き [スポーツ]
以前からずっと遠藤選手の代えがいないと言われてきました。
長谷部・遠藤の鉄板ボランチとも言われていました。
選手交代も組み合わせ、チームのバランスというものがあると思いますが、過去の結果をトレースしていくとブラジルでの先発も自然に見える部分も少なくありません。
2013年の国際親善試合 (欧州遠征)の結果
2013年10月11日 セルビア セルビア 2 - 0 日本
2013年10月15日 ベラルーシ ベラルーシ 1 - 0 日本
2013年11月16日 オランダ オランダ 2 - 2 日本
2013年11月19日 ベルギー ベルギー 2 - 3 日本
10月の欧州遠征セルビア戦で先発は遠藤保仁、長谷部誠。
サブメンバーとして細貝萌、山口螢。
67分に長谷部誠から細貝萌へ交代しています。
ベラルーシ戦、先発は遠藤保仁、長谷部誠。
サブメンバーとして細貝萌、山口螢。
69分に長谷部誠から山口螢へ交代しています。
11月の欧州遠征で2試合連続スタメン落ちの遠藤保仁選手、後半からの出場となりました。
頭角を現したのはセレッソ大阪の山口蛍選手でした。
ワールドカップ、グループリーグ最終戦では出場していません。
オランダ戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、細貝萌、高橋秀人。
ハーフタイムで、長谷部誠から遠藤保仁へ。
続くベルギー戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、細貝萌、高橋秀人。
ハーフタイムで、山口螢から遠藤保仁へ。
そして2014年5月25日壮行会で背番号発表
ワールドカップでは細貝萌、高橋秀人の両者は23人に選ばれていません。
青山選手が入って来た以外では、遠藤選手のコロンビア戦での出場が無かったのも流れからは自然なのかもしれません。
コートジボワール戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、青山敏弘。
後半8分、長谷部誠から遠藤保仁へ交代。
ギリシャ戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、青山敏弘。
後半開始から、長谷部誠から遠藤保仁へ交代。
コロンビア戦、先発は長谷部誠、青山敏弘。
サブメンバーに遠藤保仁、山口蛍。
後半17分、青山敏弘から山口蛍へ交代。
日本の心臓とも呼ばれてきた遠藤選手ですが、グループリーグ最終戦では出場ならず。
かといって、今後も同じ状態が続くとも限りません。
オランダ戦では、香川真司と遠藤保仁の先発落ちがありました。
これがギリシャ戦のスタメン落ちにつながっていたのかどうか。。。
今回はペナルティエリアへの侵入が見られず怖さが感じられませんでした。
一方、サッカー日本代表負傷者(+試合勘心配など)リストを見ると意外と使われています。
比較的長期的に代表に入っていたメンバーはサブのままが多い中、大久保選手は期待されていたのでしょう。
大久保選手が得点していればドイツのミロスラフ・クローゼ選手のようにワールドカップ出場がまた来る可能性が低くは無いかもしれないのですがどうでしょうか。
取り敢えず、一旦仕切り直しなのかもしれません。
そんな中、山口蛍選手が動き出しました。
日本代表は24日、コロンビアにクイアバで1-4で敗れました。
コロンビア戦後イトゥに戻りました。
25日はベースキャンプ地のイトゥでは全体練習がありませんでした。
午前中に山口選手の声かけで6人がピッチでボールを回しました。
山口蛍(23)1990.10.6=C大阪
清武弘嗣(24)1989.11.12=ニュルンベルク
斎藤学(24)1990.4.4=横浜M
酒井宏樹(24)1990.4.12=ハノーバー96
酒井高徳(23)1991.3.14=シュツットガルト
権田修一(25)1989.3.3=F東京
清武選手は「大迫だけです。サボったのは」と笑いながら話していました。
続けて「次は、自分たちの代が中心でやってくしかない。もう4年後のスタートは切ってる」
といっても、大迫選手はロンドン五輪2012日本代表メンバーには入っていません。
逆にオーバーエイジ枠で吉田麻也選手がいました。
もし若手なら、柿谷選手がいるので朝練に誘っても良さそうですが、朝。。。
その辺は、途中交代で出てたということで。。。
取り敢えず、2012年ロンドン五輪組、2018年ロシアワールドカップを目指す
といったところですかね。
若手とはいっても、清武弘嗣(1989.11.12)と香川真司(1989.3.17)とそう違わないし、斎藤学(1990.4.4)と大迫勇也(1990.5.18)、柿谷曜一朗(1990.1.3)も近いのです。
香川選手だけが一つ抜きん出ていたということでしょうか。
ここで失速しなければいいのですが。。。
「アテネ経由ドイツ行き」(2004年のメンバーが2006年の主力へ?)というフレーズがありました。
これは結局実を結びませんでした。
「ロンドン経由ブラジル行き」という言葉も聞きませんでした。
やはり期間が短いのでしょうか。
2年でA代表の中で活躍するのは難しいということなのでしょう。
ということで、2012年ロンドン五輪から6年後の日本代表メンバーの主力ということになります。
オリンピックの2年後に主力はキツいが6年後は当然という感じですか。
この中でどれほど残るのかも分かりませんが次回は予選突破して岡田監督を超えて欲しいものです。
長谷部・遠藤の鉄板ボランチとも言われていました。
選手交代も組み合わせ、チームのバランスというものがあると思いますが、過去の結果をトレースしていくとブラジルでの先発も自然に見える部分も少なくありません。
2013年の国際親善試合 (欧州遠征)の結果
2013年10月11日 セルビア セルビア 2 - 0 日本
2013年10月15日 ベラルーシ ベラルーシ 1 - 0 日本
2013年11月16日 オランダ オランダ 2 - 2 日本
2013年11月19日 ベルギー ベルギー 2 - 3 日本
10月の欧州遠征セルビア戦で先発は遠藤保仁、長谷部誠。
サブメンバーとして細貝萌、山口螢。
67分に長谷部誠から細貝萌へ交代しています。
ベラルーシ戦、先発は遠藤保仁、長谷部誠。
サブメンバーとして細貝萌、山口螢。
69分に長谷部誠から山口螢へ交代しています。
11月の欧州遠征で2試合連続スタメン落ちの遠藤保仁選手、後半からの出場となりました。
頭角を現したのはセレッソ大阪の山口蛍選手でした。
ワールドカップ、グループリーグ最終戦では出場していません。
オランダ戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、細貝萌、高橋秀人。
ハーフタイムで、長谷部誠から遠藤保仁へ。
続くベルギー戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、細貝萌、高橋秀人。
ハーフタイムで、山口螢から遠藤保仁へ。
そして2014年5月25日壮行会で背番号発表
ワールドカップでは細貝萌、高橋秀人の両者は23人に選ばれていません。
青山選手が入って来た以外では、遠藤選手のコロンビア戦での出場が無かったのも流れからは自然なのかもしれません。
コートジボワール戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、青山敏弘。
後半8分、長谷部誠から遠藤保仁へ交代。
ギリシャ戦、先発は長谷部誠、山口螢。
サブメンバーに遠藤保仁、青山敏弘。
後半開始から、長谷部誠から遠藤保仁へ交代。
コロンビア戦、先発は長谷部誠、青山敏弘。
サブメンバーに遠藤保仁、山口蛍。
後半17分、青山敏弘から山口蛍へ交代。
日本の心臓とも呼ばれてきた遠藤選手ですが、グループリーグ最終戦では出場ならず。
かといって、今後も同じ状態が続くとも限りません。
オランダ戦では、香川真司と遠藤保仁の先発落ちがありました。
これがギリシャ戦のスタメン落ちにつながっていたのかどうか。。。
今回はペナルティエリアへの侵入が見られず怖さが感じられませんでした。
一方、サッカー日本代表負傷者(+試合勘心配など)リストを見ると意外と使われています。
比較的長期的に代表に入っていたメンバーはサブのままが多い中、大久保選手は期待されていたのでしょう。
大久保選手が得点していればドイツのミロスラフ・クローゼ選手のようにワールドカップ出場がまた来る可能性が低くは無いかもしれないのですがどうでしょうか。
取り敢えず、一旦仕切り直しなのかもしれません。
そんな中、山口蛍選手が動き出しました。
日本代表は24日、コロンビアにクイアバで1-4で敗れました。
コロンビア戦後イトゥに戻りました。
25日はベースキャンプ地のイトゥでは全体練習がありませんでした。
午前中に山口選手の声かけで6人がピッチでボールを回しました。
山口蛍(23)1990.10.6=C大阪
清武弘嗣(24)1989.11.12=ニュルンベルク
斎藤学(24)1990.4.4=横浜M
酒井宏樹(24)1990.4.12=ハノーバー96
酒井高徳(23)1991.3.14=シュツットガルト
権田修一(25)1989.3.3=F東京
清武選手は「大迫だけです。サボったのは」と笑いながら話していました。
続けて「次は、自分たちの代が中心でやってくしかない。もう4年後のスタートは切ってる」
といっても、大迫選手はロンドン五輪2012日本代表メンバーには入っていません。
逆にオーバーエイジ枠で吉田麻也選手がいました。
もし若手なら、柿谷選手がいるので朝練に誘っても良さそうですが、朝。。。
その辺は、途中交代で出てたということで。。。
取り敢えず、2012年ロンドン五輪組、2018年ロシアワールドカップを目指す
といったところですかね。
若手とはいっても、清武弘嗣(1989.11.12)と香川真司(1989.3.17)とそう違わないし、斎藤学(1990.4.4)と大迫勇也(1990.5.18)、柿谷曜一朗(1990.1.3)も近いのです。
香川選手だけが一つ抜きん出ていたということでしょうか。
ここで失速しなければいいのですが。。。
「アテネ経由ドイツ行き」(2004年のメンバーが2006年の主力へ?)というフレーズがありました。
これは結局実を結びませんでした。
「ロンドン経由ブラジル行き」という言葉も聞きませんでした。
やはり期間が短いのでしょうか。
2年でA代表の中で活躍するのは難しいということなのでしょう。
ということで、2012年ロンドン五輪から6年後の日本代表メンバーの主力ということになります。
オリンピックの2年後に主力はキツいが6年後は当然という感じですか。
この中でどれほど残るのかも分かりませんが次回は予選突破して岡田監督を超えて欲しいものです。