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富岡製糸場とシルクロードが世界遺産に決定 [国内]

6月21日に富岡製糸場が世界文化遺産登録が決定しました。

翌22日、シルクロードが世界遺産登録されました。

こちらは中国、カザフスタン、キルギスタン3カ国の申請となっています。



この二つ、正式名称は「富岡製糸場と絹産業遺産群」と「シルクロード : 長安=天山回廊の交易路網」になります。

ユネスコで確認すると前者が「Tomioka Silk Mill and Related Sites」で後者が「Silk Roads: the Routes Network of Chang'an-Tianshan Corridor」です。

日を跨いで、又富岡製糸場とシルクロードだけだと特に関係無いように見えますが、シルク、絹ですね。



江戸時代開国後、輸出品は生糸やお茶でした。

生糸(きいと)とは蚕(カイコ)から作られる糸です。




昔はお蚕様(おかいこさま)と呼ばれていました。

大切なもの、というかお金を稼いでくれるものだからなのでしょう。

『ジャックと豆の木』に出て来る金の卵を産む鶏のようなものといったところでしょうか。




輸出するとなると港です。

富岡の製糸場から横浜港まで運ぶということで中継地となる場所が栄えました。

その他、群馬、長野、福島、山梨、埼玉から横浜港へ運ばれました。

中継として栄えたのが八王子や町田です。

そのルートがプチ・シルクロードになったということです。



官営の富岡製糸場ですが、現在はブラックかホワイトかという議論があり、当時はホワイトだったのではということになっています。

が、それ以前に人が中々集まりませんでした。

じゃあ超絶ブラック

学校で聞いたことがあるかもしれませんが、当時は外国人に生血を取られると噂されていました。

これでは人が集まりませんね。。。



工場の設計から検査人まで外国人が入っていたため怖かったのでしょうか。

何度も募集を掛け次第に人が集まってきました。



現代はグローバル化の時代といいますが、当時も同じでした。

世界のどこかで生糸の供給が少なくなれば代替となるものを探す必要があります。

その波に乗った時は良かったのですが逆に供給過剰となった場合解雇廃業となります。



市場は世界であり国と国との競争でもありました。

ヨーロッパで蚕の病気が蔓延すれば不足分として日本のものが買われます。



中国との生産競争もありました。

今でこそ高級品は日本製でそれ以外は中国製で市場を分けてと言いますが、当時は競争です。

とすると、製品が良いとか技術力といっても実はそんなに長いこと続いているわけではないのかもしれません。

ひょっとしたら、一時的に優位に立っただけの上から目線なのかも知れません。

工場自体フランス人の設計のものです。




さて、シルクロードですが、東西を結ぶ交易路です。

今回3ヵ国共同です。

役割は交易路でヨーロッパには同様なものとして琥珀の道があります。



古代中国で絹糸が発見されたといわれています。

生糸からタンパク質を取り除き絹糸ができます。

この発見は神秘的な話となっていますが、当時としては先端技術だったのでしょう。


日本製品は優秀、技術力がある、そういうことを聞くと日本人として気持ちがいいものですが、ただそれは昔からでもないわけです。

中国製だから駄目だと言えば何だか偉くなったような気にもなります。

が、富岡製糸場の導入にはフランスが絡んでいるわけで、絹糸は中国です。


結局技術力をただただ向上させていく以外無いのでしょう。

その力が無ければ砲艦外交によって不利な開国を要求されるだけです。


物資だけでなく文化も運んだシルクロードですが、今回は時代も違うためか、富岡製糸場との関連でシルクというキーワードでの取り扱いは殆どないようです。


富岡はブラック? ホワイト&エリート?


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